福岡県は北九州市、その中心地小倉に八坂神社は建っています。
小倉城という地元のお城の敷地内に存在し、建立当初から現在まで地域の人々に信仰され続けています。
7月には小倉祇園祭りという盛大なお祭りを開催され、夏の風物詩となっています。
今回はそんな地域の人々に愛され続けてきた神社のお話です。
歴史
出典:wikipedia
八坂神社はもともと祇園社と呼ばれていました。
祇園社はその名の通り祇園様(神道の神スサノオノミコトと仏教の牛頭天王が習合したもの)を祭っており、9世紀ごろから信仰されていました。
八坂神社と呼ばれるようになったのは元和三年(1617年)からで、細川忠興公が祇園社を建て直し改名したからです。
言い伝え
ある日忠興公が鷹狩りに出かけると、小さなお社を見つけました。
通常お社や祠の中にはご神体(神様が宿る物を指し、石、鏡、剣など様々なものが存在する)を見ようと杖を使い、扉をこじ開けました。
すると、扉を開けるや否や中から鷹が飛び出し忠興公の目を蹴りつけてしまいました。
忠興公は神仏に対する無礼を反省し、その社を建てなおし、八坂神社と名づけました。
その後、新しい神社に神様も満足されたのか、忠興公の目は快癒したそうです。
祭神
八坂神社には主祭神である須佐之男命(スサノオノミコト)をはじめ、
櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)
天之菩卑命(アメノホヒノミコト)
天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
熊野久須比命(クマノクスビノミコト)
市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)
多紀理比売命(タキリビメノミコト)
多岐津比売命(タキツビメノミコト)
大名牟遅命(オオナムヂノミコト)
少比古那命(スクナヒコナノミコト)
の合計12柱の神様が祭られています。
この記事ではその中でも特に重要なスサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、オオナムヂノミコト、スクナヒコナノミコトについてご説明いたします。
スサノオノミコト
イザナギノミコトの息子であり、姉に太陽神であるアマテラスオオミカミ、兄に月神のツクヨミノミコトがいます。
スサノオノミコトは海と嵐の神であり、力が非常に強く、乱暴者でしたが、ヤマタノオロチ(8本の首と尾を持った巨大な蛇)を退治した英雄でもあります。
後に仏教の神、牛頭天王と習合され、現在でも病気平癒の神として信仰され続けています。
クシナダヒメ
スサノオがヤマタノオロチを退治した際に娶った女神で、稲田姫とも呼ばれます。
詳しくはヤマタノオロチ退治で検索して下さい。
櫛は女性の呪力の源である髪に使用することから、とても強力な呪物であると考えられて来ました。
クシナダヒメは櫛名田姫と書き、女性の呪力と稲田、つまり豊穣をつかさどる女神です。
オオナムヂノミコト
オオクニヌシ、オホクニタマなど多くの名を持つ神です。
スサノオの息子、スサノオから数えて7代目の子孫などその正体には様々な説があり、スサノオの娘であるスセリビメを妻としたため、スサノオにとっては子孫であり、娘婿でもあります。
オオナムヂは因幡の白兎を助けた伝説から医学の神として信仰されてきました。
また非常に多くの妻を娶ったため、縁結びの神様でもあり、近年ではこちらのご利益のほうが有名になっているかもしれません。
スクナヒコナノミコト
小人の姿をした神で、オオクニヌシの友人です。
非常に賢い神で、様々な知恵でオオクニヌシを助けました。
オオクニヌシと同じく医学の神として祭られています。
非常に有能な神様ではありますが、同時にイタズラ好きであったとも言われています。
ご利益やお守り
八坂神社には非常に多く神様がまつられているため、ご利益も非常に多く、病気平癒、家内安全、交通安全、心眼成就、縁結びなど様々です。
お守りは縁結び、家内安全、心眼成就、病気平癒、学力向上、安産など非常に多くのお守りを取り扱っています。
交通
〒803-0813 福岡県北九州市小倉北区城内2−2
JR小倉駅からなら徒歩20分モノレール平和通駅からなら徒歩15分程度です。
モノレールの路線に沿ってモノレール平和通駅まで行き右折すると繁華街に入ります。
繁華街を突き抜けると橋が見えてくるのでそれを渡ります。
その先に見えるお城を目指すと敷地内に大きな石の鳥居を見つけられるでしょう。
そこが八坂神社の入り口です。
参拝後はそのまま隣の小倉城を見学しましょう。
歩きつかれたならば、近くにリバーウォークというショッピングモールで一休みしてもいいでしょう。
小倉にいらした際には是非お訪ねください。
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