愛媛県東温市の旧川内町にある神社です。
ちょうど川内支所の裏側くらいになります。
室町時代に開かれた神社というだけあって趣のある神社です。
場所や駐車場
松山市内からも国道11号から旧川内方面に向かっていき、川内保育園のすぐ裏なのでアクセスしやすいと思います。
住所:〒791-0301 愛媛県東温市南方375
神社すぐそばには駐車場は見当たりませんが、すぐ近くに川内支所があります。
そこに車を停めて参拝するのがいいと思います。
神社について
1397年に河野通久によって開かれた後、何度も名前を変えながら、昭和18年から現在の川上神社と改称された神社だそうです。
神社内には複数の神社名の石碑などが確認できます。
2010年には社殿の増改修工事がされたそうで現在は綺麗になっていました。
また川上神社には古墳があります。
古墳は横穴式で巨石を使用していることなどから7世紀中頃(大化の改新)の終末期古墳であると言われています。
この古墳からは県下最多の馬具が出土しており被葬者は松山平野で極めて有力な首長の一人であったと推定されます。
階段を50段ほど上った先に本殿があります。
私が訪れたのはちょうど秋祭りの時期で、お神輿が二体祭ってありました。
階段は急ですが実は横から車で行ける道もあります。
川上神社周辺には古墳もいくつかあり、とても神秘的な場所です。
周辺について
階段を上った本殿の前からはちょうど塩ヶ森(東温市の山)が正面にあり、その下の川内の町も見渡せていい景色です。
まるで映画のロケに使えそう・・・、と一人思っていました。
旧川内町は宿場町で栄えたそうです。
その名残が神社の周辺の商店にも残っておりどこか懐かしい川内町を散策してみてください。
どうしてあの、どちらかといえば田舎の川内町が(川内の皆様すみません)宿場町となったのでしょうか。
金毘羅街道
江戸時代に街道が海沿いの今治ルートからこちら(桜三里)に変わったそうです。
その時に川内で一泊すれば桜三里を超えるのにちょうどよかった・・・
なんて話を聞いたことがあります。
また氏子さんから石鎚に行くのにここで一泊すれば支障がなかった、なんて話も聞きます。
讃岐街道は別名、金毘羅街道と呼ばれます。
道中に今も残る灯篭等を見ると金毘羅街道のほうが有名な呼び名だったのでしょう。
川内は確かに街道で見ていくと松山から香川へ抜ける重要な街道が通っている他にも現在伊予川内線と呼ばれる街道との集合点でもありました。
伊予川内線も昔は金毘羅街道(讃岐街道)であったようです。
ここを通って大洲のほうに抜けていたようです。
街道の集合点に宿場町はよく形成されてますよね。
いろんな意味で川内は重要な町だったようです。
ですから「川上神社はとても大切な神社だったんだろうな」と思います。
参拝者はあまりいませんでしたが、秋祭りや七五三の時期になると人でにぎわうそうです。
まとめ
松山市内からアクセスも良く、かといって都会の喧騒からは程遠いこの川内の川上神社、是非訪れてみてください。
私が大好きな神社です。
知っていただけて感謝です。
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